お幸せに
諦めの秘訣。
それは相手の幸せを心から願えた日、だ。
どこか空の下、幸せに暮らして欲しい、自分抜きで。
そのように真摯に願えた日、ようやく男への未練が断ち切れる。
ムードを味わうべく、私は江の島の海岸に来ていた。
冬の砂浜は寒い。
極寒だ。
そんな中でも恋人たちは波打ち際で悲鳴をあげたり、楽しそう。
私はツイードのコートの襟を立て、おとなの女性を気取る。
誰も見てないが。
これでいい。
全ては未来への贈り物。
そっと宝の小箱にしまって、年老いた日に愛おしげに眺める宝石のようなもの。
どうしてある日突然こんな気分になれたのか?。
書店でずいぶんと立ち読みもした。
「男を忘れる方法」だの「永遠の人に振り向いてもらう秘密」だの、「愛される女性とは?」とか。
愛される!私はこの「愛される」というキーワードってか装飾語が大嫌い。
怖気をふるうぐらい。
愛されメークだの、愛されワンピだの。
どうしてこんなに男に媚びる必要が?。
依存心を捨て勤勉に生きなさい、大志を抱きなさい、主体的に生きなさいと、学校では男女平等に教え諭されたあげく社会に出るや、「愛され術」のご登場とは?矛盾や。
しかし厳冬の江の島には、ツイードでは薄すぎた。
やはり厚手のダウンを着てくるべきだった。
私が悪かったのだ。
彼の口が悪い、辛辣だなどとよくまあ言えたものだ。
そうして彼の周りにいた女子たちに嫉妬してし、軽蔑もしていた。
でも、その資格が私にあっただろうか?。
過去の反省を活かして言葉に注意
もしも違う人生を生きてこられたら、こんなに苦労することもなかったのではないかとか、もっと優しく愛される人になれていたのではないかと思うことがありました。
私は子どもの頃口の悪い子供で、嫌なことを平気でたくさん口にしてきました。
中学生になる頃には落ち着いたのですが、今でも小学生の頃の自分を恥じていて、とても後悔しています。
どうしてあんなに嫌なことをたくさん口にしたのか、今でも理由が分かりません。
ただ、いつも何か不満でイラついていたような気がしますが、それさえもはっきりとは覚えていません。
中学生になると、私の100倍も口の悪い人がたくさん現れて、むしろ私は無口になりました。
何も言わなければ、誰も不快にさせる心配がありませんし、余計な不安もなくなります。
この頃から、今の性格人格に繋がっているように思います。
言葉を発する時はちゃんと考えていますし、誤解をされないように注意もしています。
傷つける言葉はもちろん口にしません。
完璧主義の性格がそうさせるのか、もし子どもの頃に戻って今のように発する言葉に気を付けて暮らせたら、どんなに良いだろかと思うことがあります。
そうしたら、自分を責めることはきっとなかったでしょう。
でも、反対の事も考えるのです。
もし反省が無かったら、もしかしたら今誰かを平気で傷つけたり責めたりしていたのではないかと。
そんな残念な大人も周りにいますから、私も一緒になっていた可能性もあります。
「たられば」が無いのが人生。
戻ることが無い過去を後悔するよりも、これからのことを考えて生きて行こうと思っています。